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2019-03-01

#03 酒屋の店主 | 堀場秀基さん

もともと先祖は岐阜にいたんやけど、明治初期の頃に京都にやって来て。この辺りは畑が広がっていて、聖護院大根や鹿ケ谷かぼちゃが栽培されていた。うちが出てきた時に、ちょうど開拓されはじめて。今はもう縁が薄くなってしまったけど、岐阜から一緒に出てきた人たちがこの辺りに住んでると、子どもの頃にお婆さんから聞かされた。 最初、三条大橋のところで漬物屋さんをしてたけど、そのあと熊野神社のそばに移って、酒屋を始めたらしい。熊野神社に店を構えてからだと創業100年以上、僕は5代目やな。

子どもの頃は酒屋を継ごうなんて思ってなかった。仕事を通じて、フーテンの寅さんみたいにいろいろなところに行きたかったから。海外に行けるから商社マンになりたいと思ったけど、頭がついていかんかった。
小さい頃から親が商売する姿を見てるから、サラリーマンと時間やお金に対する感覚も違ったね。いただいたお金の中でやりくりするのがサラリーマンの基本やけど、商売をしてたら頑張って儲けたらいいし、あかんかったらそれなりの生活を送るしかしょうがないやん。だから、酒屋でもいいかと。まだ時代的にも、酒屋で食べて行くにも困らない時代やったし。お酒が嫌いじゃなかったしな。販売するものが嫌いやったらできへんけど、お酒は嫌いじゃなかったから。人と接するのも好きやしな。

好きなお酒は、ワイン。酒屋を継ぐ前は、別の会社に行ってたん。もともと渋い赤いぶどうの液体やと思っていたけど、新入社員歓迎会でサントリーのマドンナを飲ませてもらって。ワインって甘いんや。飲みやすいしおいしいって気づいて。それでワインの勉強を始めて、店を継いでからウイスキーや焼酎にも興味を持ち始めたんよ。

堀場酒店は京大病院も近いから、バブル時代はようお客さんが来たね。先生の好みのお酒を知ってるから、御用聞きとして動くことが多かったな。 やっぱ対面商売のおもしろさは、いろんな人に会って、コミュニケーションを取れること。興味持ちやから、お客さんにいろんなことを聞いて。友達になったら、お酒以外の相談もしてくれるようになって。

今はインターネットが発達しているけど、デジタルな人間ばかりじゃない。アナログな人間も多いから、時代の狭間で僕は生きていけたらいいと思っている。悪いことしたら、近所のおばちゃんに「こら!」って怒られる時代を生きてきたからな。今はそういう光景は減ったけど、これからも対面のコミュニケーションを大切に商売していきたい。
やっぱ地域で商売をしていると、顔見知りやし、肩肘張らんでいいから楽やんな。言葉を選んで喋るってしんどいやん。気楽に喋れる人の輪の中にいるのが、心地いいわけ。

 

 

堀場酒店

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