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2021-08-21

#18 マンション経営 | 阿部 敏彦さん・弘美さん

「生まれも育ちもここ」の阿部敏彦(あべ としひこ)さんと、結婚を機に移り住んだ弘美(ひろみ)さん。楽しそうにこの土地の歴史や魅力について話すお二人からは、長年過ごしてきたこの街への愛着がひしひしと感じられます。65年の日々の流れと変化、そしてふたりで送る日常について伺いました。

世代をまたいで感じる、街の移り変わり。

—長くこちらにお住まいなんですか?

敏彦さん:家内は梅津というところの生まれで、結婚を機にこちらに移り、僕は生まれも育ちもここ東丸太町です

昭和31年、まだ戦後の名残がある時代に生まれました。ここには、空襲で大阪の家から焼き出されて京都に疎開した祖父の代から住んでいます。当時はクリーニング屋を細々とやって、そのあとは下宿屋、それからマンション経営。同志社、立命館、京大と、京都は昔から学生の街ですね。昔は六畳一間で寝泊まりして、炊事場も共同で、お風呂も銭湯で。今ではワンルームの独立した部屋になって、格段に変わりましたね。街を見ると、この辺は昔は古本屋さんがもっと多かった。本を読む学生さんが減ってきたのかな

—物心ついた頃と今では、景色はどう変わってきましたか?

敏彦さん:非常におしゃれな店が増えました。ワイン屋さん、洋食屋さん、パン屋さんとか。昔からのお店も古い​​饅頭屋さんとかはあるけど、新しい店がどんどん増えてる印象ですね。

あと、今は電線がないでしょ?地中になって。言うて無くなってまだ3・4年か。ほんま綺麗なって、景色がよう見える。建物の高さ制限もあって、丸太町通はスカッとしてますよ。

あとはね、鴨川沿いの鴨東線が走るようになってからここら辺がどんどん栄えました。三条京阪から出町柳までが繋がった。それまでは三条京阪から大阪の淀屋橋まで、あとは出町柳から岩倉と八瀬とか、その間がなかったからね。

時代を経て、交通の便もどんどん便利になってるんやろうね。荒神橋ができたのも、実は幕末なんですよ。火事のときに天皇さんが御所からこっち側に逃げてくるために作られたってゆわれてるね。この場所に居てると、どうしても歴史が好きになる。タイムマシンに乗っかってタイムスリップしたら、さぞかし面白いやろね。

 

ベンチに腰掛け、またさんぽ──。変わらない、自然と文化と隣り合わせの毎日。

—このエリアで好きな場所や過ごし方はありますか?

弘美さん:京都御所の中の「森の文庫」はいいですね。北側の門、今出川から入った方が近いかな。本や紙芝居が置いてあって、木漏れ日の中で楽しめるようになってるんですよ。子供が読むような本、虫の本、花の本とかあってね。孫を連れていく時もあるし、ご飯持って行ってお友達とお昼食べたりなんかも。ちょっと行ったとこに、いろんな小鳥がやってくる水釜があって、バードウォッチングをしてる方がいたり。

敏彦さん:京都は至る所にベンチがあってね。鴨川公園のアーチになってるベンチでは誰かが背中伸ばしたりしててね。ちょっとしたお弁当こしらえて皆でお外でいただくと気持ちがいいもんです。気をつけなあかんのはトンビやけどね。
飛び石なんかもあるから、お年寄りも、子供も一緒になって遊んでね。鴨川の向こう岸に渡ると、鴨川が眼下に流れてて、ちょっと見上げたら東山連峰。まさに「山紫水明」ですよ。その四文字熟語ができたのもこの景色なんです。本当に綺麗ですよ。

弘美さん:私は、岡崎界隈の文化的な感じもすごい好きですね。おしゃれなカフェがあったり、美術館のイルミネーションがあったり。夜もたまに散歩しに行ったりね。平安神宮の参道は歩行者天国になっていて、灯籠のような街灯が連なってずっと付いてるんですけど、あそこを歩くんですよ。真正面に平安神宮あって、贅沢ですよ。十二単衣を着たお姫様の気分で、真ん中を堂々とね。

敏彦さん:平安神宮は正面左側から入るお庭もいいですね。平安神宮を囲うように庭があって、杜若(カキツバタ)の見頃なんか、なかなかいいですよ。ほんとに贅沢なエリアで。二人でしょっちゅう、さんぽしてます。

 

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