60年前、吉田市場の商店に嫁入りした中川朝子(なかがわ ともこ)さん。日用品や日々の献立はだいたいここで揃ったと聞く活気ある市場の日常はどんなものだったのか。
朝子さんは、あの頃はいい時代だったとも、逆に、よくなかったとも、言わない。商店も、伝統行事も、今もまだ残っているものもあるし、なくなってしまったものもあるけど、それはそれ。懐かしい話も今の暮らしのことも、からっと明るく話してくれる吉田の元気なおばあちゃんに話を伺いました。
まちの台所「吉田市場」での日常風景
ー「朝子」と書いて、ともこさんなんですね。ご出身もこのへんですか?
生まれたとこの近所の人はな、あーちゃんとか、あさちゃんゆうて呼びはるねん。ふたつ名前持ってんねん。ここのおうどん屋さんは息子が脱サラして開いて。わたしは全然手伝ってないよ。この奥に住んでるだけで。
錦林車庫のあたりの出身やけど結婚でここへ来て、もうずーっと60年くらいかな。主人の親が吉田市場で商売してはってん。お酒やらお醤油とかだし巻き作って売ったり。
吉田市場は昭和の7年かそのへんにたってる市場や。なくなったんはここ6-7年くらいかな。私もお菓子のお店出してはるところへ手伝いに行ってた。うーん、30年くらい。ははは、なんでも長いねや。
ー吉田市場ってどんな市場だったんですか?
揃ってたよなかなか盛大に。お菓子さんやら、お米やさんとか、魚やさんに乾物やさんとか、あらゆる店が入ってはった。私もそこで買い物してた。市場としてはそう大きい方じゃなかったけど、乾物もお魚も、お漬け物やさんや八百屋さんもあるからそこへ入ったらもう全部買い物できる。今みたいなスーパーとちゃうさかい、一軒一軒が入ってやってはるさかい。
ー活気がある市場だったんですね。
これがええとか悪いとか、今日のおかずはこないしはったらどうえ?ゆうて、魚やら野菜やら、ほなそうしよかとかゆうて。今だにその市場へ来て買ってくれてはったお客さんが顔なじみでちょこちょこと喋ったりする。今日おかず何しよと思って来たんえゆうたり。
日の暮れなったらな、家賃集めに来はんねん。大家さんとちゃうよ、代表で借りてはる人が、広さで割りあてして。一ヶ月固めておいといて、それを大家さんへ渡すんよ。日の暮れなったら毎日。経費も一緒にな。催しはるやん。札みたいな帳面みたいな、これいっぱいなったらただでお菓子もらえるみたいなやつ。1冊150円ただになりますよ、みたいなな。
町内のお祭り当番「よその組には負けたらあかん」
ー京都では地域のお祭りも住民が協力し合って開催しますよね。
地蔵盆でも町内で当番制があって、町内に1組2組ゆうて組がある。そのうち2組ずつが当番でお地蔵さんのとこ回っていく。そうゆうときにはもう一生懸命や。よその組には負けたらあかんってゆう感じがある。おもしろいよ、ほんとに一生懸命やる。行事を派手にな、お金使わんと派手にしっかりやる。
道路かって、この狭いとこへ、行灯つるねん。おおきゅうおおきゅう行灯(大きな大きな行灯)。そこへ絵描いて、各家にも小さい行燈つけて。昔は車も通らへんしな。今はもうマンションとか新しい人入ってきはったさかい、あんまり近所の付き合いはのうなったけど。
手作りのお神輿の飾りと作務衣、次は編み物
ー最近、普段はどんな風に過ごしてるんですか?
これゆうて趣味もないけんども、毎日忙しいよ。なんでも興味もってやってみるほうやさかい。こんな小さい座布団縫うたり。これは鈴を座布団に通してぶらさげて10月の子供神輿につけはんねん。お正月からかかって縫い上がって、いまは作務衣縫うて。これを早いこと縫うて、また編み物もせんな。
今日な、えらい何べんも何べんも化粧しとき化粧しときってゆわれたで。写真撮られるからって。たまに化粧したらスポンジかたなって、顔の皮めくれるかしら思うほど痛かったでほんまにもう。