京大の研究者として働く井上正宏(いのうえ まさひろ)さん。京都での短い学生生活に思いを馳せ、当時を懐かしみ慈しむ姿には、この街への愛着が感じられます。40年経って帰ってきた街の姿についても伺いました。
“学生さん”の思い出が色濃く残る京都
─京都にはいつ来られたんですか?
初めは、高校卒業後に京大の農学部へ進学したことがきっかけやね。一乗寺の高野泉町っていうとこに2年間住んで、それから医者になろうと思い立って、大阪の大学の医学部に受かったタイミングで京都を出た。18の春に来て、21の春に出て行った。
大学卒業後は無事医者になったんやけど。途中で研究者に変わって、大阪の研究所に17年おったんかな。ほんで2018年に京大に移ることになって、またここに戻ってきた。
ー京都での学生生活はどうでしたか?
あのね、良い思い出しかないねん。初めて下宿した場所やし、京都は良い思い出しかない。
高三の時にどこ受けようかなと思って、京大を見に来るために初めて京都を訪れたんよね。当時僕は姫路の方にある、規律がめっちゃ厳しい学校に通ってた。家は神戸やったけど、もちろん街にもそんな行ってないし、大阪は全然よその街やったし。目新しい場所に来て、「あー京都って自由でいいな」って、開放感みたいなのを感じたのを覚えてるな。タテカンがバーッと並んであるのとかもね。
安い映画館とかもあってね。一乗寺に「京一会館」っていうのがあって、題名は覚えてないけど映画を週末オーバーナイトで5本くらい見せてくれたり。大学の先生も、「勉強したい人はしたらいいし、したくない人はほっときます」って感じで、自分の好奇心が育つ環境やった。
ー大阪に住んでいた頃と違いを感じますか?
よう言われるように、京都の街は”学生を相手にしてる”、”学生が相手にされている”って感じがあるんやな。大阪はないねん。大阪はね、文化的に学生は未熟者。だから働いてる人が一番えらいねんな。京都は「学生さん」っていうやろ。大阪は言わへんから。
やっぱり京都に大学を見に来ると、京都に来たいなって子は今でもいるんちゃうかなって思うけどな。
40年後の京都で出会うデジャヴ
ー京都に帰ってきてどう感じましたか?
いわゆるデジャブやね。景色は随分変わってんねん。百万遍の交差点のところの店とか、あそこは銀行やった。「第一勧銀(だいいちかんぎん)」って言うて、今の「みずほ銀行」。
でも店みたいなんは結構残ってる。百万遍辺りの定食屋の「ハイライト」とか、喫茶店の「進々堂」とか。その頃は進々堂でよう大学受け直す勉強してたな。本読むにはちょっと暗いんやけど。
あとは熊野の辺りやね。カレー屋の「ビィヤント」は残ってるし。あとは「ヤマトヤ」とか、「ざっくばらん」とかのジャズ喫茶。僕がおった頃はまだ学生の間でジャズが流行ってて、ジャズ喫茶っていうのが京都のそこら中にあってん。今はだいぶ減ってるけど、熊野には2件残ってる。40年前のジャズ喫茶がそのまんま。
40年ってね、長いんか、短いんかっていう話。時代変わっても、変わらんもんもあるのかな、と。